めんの(ほぼ)引きこもりブログ

ADHD持ちの(ほぼ)引きこもり女性の日常

冬の街中は孤独感が増す件

おそようございます。
昨日は外出していたのですが、どうやら脳が興奮してしまったようで、夜はなかなか眠れませんでした。
仕方がないのでドラマを流し見しながら、夜な夜なスルメを齧っていました。

冬は寂しくなる問題

二十年あまり生きてきて、最近になって初めて感じるようになったことがあります。
それは、ひとり街中を歩いていると、やたらとカップルや家族連れが目につき、ほっこりしつつもみじめな気持ちになることです。

わたくし、自分の敵対する相手にすら、「不幸になればいいのに」、「幸せそうでムカつく」とは思わない性質なので、このみじめで寂しい気持ちは一体どこからやってくるのかを考えてみました。

  • 寒さのせい

雪山に遭難した時のことを想像してみましょう。
眠いなあ、眠い…。眠ってしまいたい…。
極限の寒さの中、思考力は低下するばかり。
こんな状況下では、あのエジソンアインシュタインでさえも、世紀の大発明を生み出す可能性はゼロに等しいです。
それほどに、寒さはその人本来の感情や思考力を奪う力を秘めています

  • 寒色系イルミネーションのせい

調べたところによると、青という色は知性や落ち着きを感じさせる一方、悲しげなイメージを抱かせる色のようです。
昨日は街中を散策中、寒色系イルミネーションで彩られたツリーを目にしました。
そこに群がって写真を撮ったり、はしゃいでいる人々に対し、リア充爆発しろ(懐かしいな)と心の中で呪詛を唱えてしまったのは、悲しげな青のせいなわけです。

  • 自分との対比のせい

前述の寒さだとか寒色だとかは、小さな要因にすぎません。
最大の要因は、決して良いとは言えない自分の現状と、側から見てうまく行っているように見える他人とを比べてしまうことにあります。

(欲しいと思ったことはないけれど)子を持たない自分と、子を連れて楽しげに笑っている女性との対比。(恥ずかしいと思ったことはないけれど)一人で歩いている自分と、彼氏や夫と仲睦まじく歩いている女性との対比。
妬み嫉みまではいかずとも、自分に無いもの・手に入りそうにないものを持っている他人を、少なからず羨んでいるのです。


以上、冬の寂しさは一体どこからやってくるのかを考えてみました。
こうして文字に起こすことで、より一層孤独感が増した気がしますが、それは冬のせいということにしておきましょう。

映画「ジョーカー」観てきたよ

馴染みの劇場では公開終了直前の、映画「ジョーカー」を観てきました。
我ながら、毎度毎度の駆け込み鑑賞の多さに感動します。

友人らの評判は、絶対に観るべき、考えさせられる作品とのことでした。
予告編を見ながら売店のフードを完食(お腹空いてるとやらかしがち)し、いよいよ本編スタート!


※鑑賞中
(ふむふむ。なるほどね…。ジュース甘いな〜。口直しにしょっぱいの…あ、食うモン無いやんけ! やらかしたー)


エンドロールが流れた後、重い内容だったとか、過激な暴力シーンについて語る声が耳に入ってきました。
しかし、わたくしはそれほど重い内容だとは感じませんでしたし、暴力シーンについても、なんの違和感も抱きませんでした。
なぜなら、ジョーカーの日常が自分にとって身近で当たり前過ぎたからです。
この作品を観たわたくしの感想は、「あー、わかるわ〜」の一言に尽きます。

世間から忘れられ、いつも踏みつけにされてきたジョーカー。
ジョークで人を笑わせたいのに、自身の意図しないところで笑われる屈辱。憧れの存在への失望。周囲の裏切り。過熱する妄想。楽にならない生活。
異常か正常かを勝手にジャッジして見下す人々に、ジョーカーはほとほと呆れ疲れ果て、段々と行動が過激になっていきます。

犯罪都市ゴッサム・シティがいつも暗くてどんよりしているのは、「持たざる者」を無視して蔑ろにしてきたツケを、「持つ者」が払っているからです。
壊れたものは元には戻らないとはよく言ったもので、壊れた人間も元には戻りません。
真偽は定かではありませんが、この作品を重いと言っていられる人、暴力シーンに目が奪われている人は、「持つ者」の立場にある人、もしくは「持たざる者」の視点が欠けている人なのではないか、とわたくしは思います。
「話題になってたから一応見てみたけど、なんか重くて暗かったわー」と、この作品をオモチャ扱いして数ヶ月後には忘れ去るような人たちでないことを願うばかりです。


最後まで読んでくださったあなたに感謝します。
読者になっていただけると、励みになります。

ぜひランキングのご協力もお願いします。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ