めんの(ほぼ)引きこもりブログ

ADHD持ちの(ほぼ)引きこもり女性の日常

過去の自分を救うには

わたくしは馬鹿な人間でして、後悔というのをあまりしないのですが、あの時にああしておけば、人生は違っていたのだろうか? などと、ふと思うことがあります。
そこで今日は、あの時ああしときゃ良かったかも、ああしてくれてりゃ良かったのに、と思ったエピソードをひとつ語りたいと思います。

大人の言うことは全て正しいか?

大人は子どもを型にはめたがるものだと、わたくしは思っています。子どもが少しでも人と異なった行動とると、「普通」のレールを走るように軌道修正させようとしてきます。
わたくしは、幼い頃からそれが窮屈で窮屈で仕方がありませんでした。そのため、いつも真逆のことをやっていた気がします。走るなと言われれば走るし、走れと言われれば走らない。とんだひねくれ者で、大人の立場からすると、さぞ嫌な子どもだったことでしょう。

しかし、子どもがひねくれるのには必ず理由があります。それは、大人に否定されたり、裏切られたりした経験が積み重なったからです。
教師から将来の夢を書くように言われ、素直に書いて提出するとやり直しを要求されたり、何も悪いことをしていないのに、虫の居所が悪いという理由で両親に説教をされたり。
大人に対して、「それっておかしくない?」と思う場面に何度も遭遇したことで、大人の言うことは全て間違いだと認識するようになります。自分の何気ない言葉や行動に対して、子どもが心の中で反発していることに、大人は気付かないものです。


その一方で、子どものわたくしも、「大人のこの言い分は正しいから、今回は言うことを聞いてやるか」と、場面場面で先入観なしに物事を判断すれば良かったかな、と思います。
例えば、わたくしは過去に、友人のある短所がどうしても受け入れられず、付き合いを絶ってしまったことがあります。その際、「たった一つ嫌いなところがあるだけで、友達をやめてしまうのはもったいない」という助言をしてくれた両親に、「だってムカつくんだもん」の一言で片付けてしまったのは、良くないことだったと思います。なんせその友人は、短所だらけのわたくしの側に居てくれる、貴重な存在だったのですから。

当時のわたくしは、大人の言うことはおかしいと、十把一絡げにして否定することによって、自分の選択肢を狭めていたと思います。カードゲームだって、枚数が多いと多少の迷いは生じるものの、たった1枚しか自分の手元に無い場合よりは、色んな勝負を仕掛けられますものね。
大人にだって間違いはあるし、全てが正しいわけじゃない。だからこそ、子どもだって物事を正しく見極める努力をすべきだ。少し大人になったわたくしだからこそ、今はそう思います。

今の自分を変えることで、過去の自分を救い上げる

ハチャメチャな人生を送っているうちに、わたくしはいつの間にか、「大人」と呼ばれる年齢になっていました。わたくしが大嫌いだった大人に、です。
しかし、歳を重ねるごとに、決して大人は悪い人ばかりではないということに気付く場面が増えました。
わたくしが沈んでしまってどうしようもない時に励ましてくれる人、楽しい生き方を教えてくれる人。
中には人の心を平気で踏みにじるような大人もいますが 、それはごく一部の嫌な奴です。

過去の自分は変えられない。だからこそ、今の自分を変えられるよう模索する
そうすることで、「嫌いだった大人像」に今の自分が当てはまることを防ぎ、まだ心の中に棲んでいる、過去の自分を救い上げてやれるのではないでしょうか。
悩んで、泣いて、落ち込んで。一歩も動けなくなってどうしようもない時でさえ、わたくしは「変わりたい!」そう思っています。